 |

掲載: 2005/03/24
ソース:『bounce』誌 262号(2005/2/25) |
文/JAM マイアミの風土に育まれたディープなサザン・ソウルと陽気なパーティー・グルーヴ
マイアミ直送の音楽のあり方を多彩な側面から伝えてくれたインディーの雄、TK。〈ギネスブック級〉なる表現も決して大袈裟ではないほど多岐に渡る傍系レーベル(その数およそ30!)を傘下に抱えながら、70年代に猛威を振るったディスコ・サウンドのランドマーク的存在でもあったTKは、その一方でサザン・ソウルの伝統にも忠実であり、歴史的に見ても極めて重要なレーベルである。
ディストリビューターとして業界では有名だったヘンリー・ストーン(21年、ブロンクス生まれの白人)によってTKがフロリダ州マイアミに設立されたのは72年のこと。そもそも彼はディストリビューターである一方、自由に使えるスタジオを保有、そこにアーティストを呼び寄せて録音した音源をメジャーに売り込んでいたりもした人物で、そんななか、配給をアトランティックに託したベティ・ライト“Clean Up Woman”や、ビギニング・オブ・ジ・エンド“Funky Nassau”(両曲共にリリース元は、ヘンリー・ストーンとスティーヴ・アレイモが関与したローカル・レーベル=アルストン)の成功により、彼は独自レーベルの設立を決意している。ヘンリーのオフィス上階にあったスタジオのオーナー、テリー・ケイン(Terry Kane)の頭文字を頂いたTKが独自に製造/配給/販売した最初の作品はティミー・トーマスの“Why Can't We Live Together”とされ、ソウル・チャートで2週連続首位(ポップ・チャート最高位3位)を記録した同曲の大ヒットでTKは一気に勢いづく。
| | 入門編的な選曲のレーベル・ベスト『Best Of TK』(Stateside/EMI) |
この後、TKからはおもしろいようにヒットが続き、なかでもその躍進にもっとも貢献したのはヘンリーの事務所で荷造りのバイトをしていたハリー・ウェイン・ケイシーとスタジオ常駐のエンジニアであるリチャード・フィンチという白人青年2人が中心となったKC・アンド・ザ・サンシャイン・バンドだった。75年の“Get Down Tonight”の爆発的ヒット(ソウル/ポップ両チャート1位)に続き、彼らは“That's The Way(I Like It)”“Shake Your Booty”と、次々にNo.1ヒットをモノにする。彼らの開放的なサウンドは青地にヤシの木をあしらったTKのコーポレート・イメージそのままに、やがては〈Sunshine Sound〉と呼ばれるようになった。彼らの活躍はジョージ・マクレーの“Rock Your Baby”や、ジミー・ボ・ホーン“Dance Across The Floor”といった所属シンガーのプロデュースにまでも及び、まぎれもなく彼らの存在はTK最強の駆動軸となった。
さらに12インチ・シングルとして史上初のゴールド・ディスクとなったピーター・ブラウンの“Do Ya Wanna Get Funky With Me”、これまたダンスフロアを爆心地としたアニタ・ウォードの“Ring My Bell”、ディスコ・ブームのピークを宣言したフォクシーの“Get Off”など、相次ぐディスコ・ヒットによりTKは70年代の後半にはメジャーをも脅かす巨大な図体と化す。
皮肉にもディスコの流行が冷え込むのに伴って、TKの栄華にも急ブレーキがかかるのだが、ダンス・ミュージックのヒット公式を数々見い出した点も含め、TKが黒人音楽界にもたらしたさまざまなノウハウはいまもなおしっかりと息づいている。もしTKがこの世に存在していなかったら、ブラック・ミュージックはいまほどおもしろくなかったかもしれない。 |
文/林 剛 BETTY WRIGHT
マイアミ・ソウルを代表する女性アーティストといえば、やはりこの人だろう、ベティ・ライト。53年にマイアミで生まれ、3歳からエコーズ・オブ・ジョイというファミリー・ゴスペル・グループに参加、話すよりも先に歌っていたという。幼い頃から数学の天才にしてIQが超人並みの167……ということで、ラジオ番組の〈曲当てクイズ〉で優勝した彼女は、賞品のレコードを貰いに向かった地元のレコ屋で曲を口ずさんでいたところをプロデューサーのウィリー・クラークにスカウトされた。この時13歳。直後に彼女は、クラークとクラレンス・リードのもとで初録音をする。そして2年後の68年にはアルストンに迎え入れられ、“Girls Can't Do What The Guys Do”が初の全米ヒット。10代の少女の恋愛観を可憐かつディープに歌ってみせ、71年には代表曲“Clean Up Woman”が大ヒット。以後もクラーク&リードの援護体制のもと“Baby Sitter”“Secretary”など、女性の側に立った歌を、キワドイ意味も込めつつ披露していった。
| | ベティ・ライトのベスト・アルバム『The Very Best Of Betty Wright』(Rhino) |
70年代中期、TKが一連のディスコ曲で人気を得ていくと、彼女もスカ風の“Shoorah! Shoorah!”などダンサブルな佳曲を連発。同時にバラードでエレガントな魅力も振り撒くようになった彼女は、79年のTK離脱直前にはセルフ・プロデュースにも挑戦している。80年代に入るとエピックに移籍し、スティーヴィー・ワンダーに制作を仰ぐなどしてアルバム2枚をリリース。その後は、自身の愛称〈Ms.B〉を冠したプロダクション/レーベルを主宰し、最近作『Fit For A King』(2002年)に至るまでディープでモダンな作品をリリースしている。
それと並行してバック・ヴォーカルなどの仕事も数多くこなす彼女は、同郷のグロリア・エステファンをはじめ、レジーナ・ベル、ジェニファー・ロペス、P・ディディら幅広いアーティストの作品にも関与してきた。昨今はジョス・ストーンのブレーンとして突如再評価された感もあるが、同時にエリカ・バドゥやアンジー・ストーン、ロイ・エアーズ、ニーナ・スカイ、ケリー・クラークソン、そして同郷であるジャッキー・Oの作品にも客演している。インテリジェントでありながらビア〜ッチなソウル・シスターとして現在もなおマイアミの女傑であり続けるベティ・ライトは、いまもっとも旬なヴェテランなのだ。 ▼ベティ・ライトが参加した作品の一部を紹介。
| | グロリア・エステファンの98年作『Gloria!』(Sony) |
| | ニーナ・スカイの2004年作『Nina Sky』(Next Plateau/Universal) |
| | ジャッキー・Oの2004年作『Poe Little Rich Girl』(Poe Boy/TVT) |
|
|  |  |
文/JAM、出嶌 孝次、林 剛 ESSENTIALS 忘れられない名盤たち その1
ANITA WARD 『Ring My Bell -The Definitive Collection』 Smith & Co. 79年に全米チャートを制した後期TK最大のディスコ・ヒット“Ring My Bell”。ジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンスのカヴァーも含め、メロだけはやたら有名な同曲を歌った〈一発屋〉こそこのアニタ・ウォード。TK傘下のフアナに残した唯一のアルバム『Songs Of Love』(79年)が丸ごと収録されたこのベスト盤では、ミッド〜スロウにまで渡る意外な側面が確認できる。(出嶌)
THE BEGINNING OF THE END 『Funky Nassau』 Alston/Atco(1971) マニングス3兄弟+1名からなるバハマ出身のヴォーカル&インスト・グループ。ファンキーな母国の首都を能天気なラテン風リズムに乗せてレペゼンした表題曲の一発ヒットで知られ、これは後に祖国の後輩であるバハ・メンがカヴァー。同曲を含めリズムはどこか一本調子だが、カリビアンらしい土着的な匂いを発散しながらファンキー&グルーヴィーに突き進む感じがカッコいい。(林)
BETTY WRIGHT 『Hard To Stop』 Alston/Atlantic/Water(1973) マイアミ・ネイティヴであるベティ・ライトは、まぎれもなくTKのファースト・レディーだ。エリカ・バドゥ、ジョス・ストーンをはじめ、彼女に尊敬の念を注ぐレディー・ソウルも後を絶たないが、このセカンド・アルバムを聴けばその理由もおのずとわかる。高慢さとは無縁に女性としての生き方を説く彼女のスタンスは現実からの乖離を許さず、異様なまでに気高い。(JAM)
BOBBY CALDWELL 『Bobby Caldwell』 TK/ビクター(1978) 音楽通(?)は無視しそうな〈AORの帝王〉だが、この絶対的名盤を素通りできる人は心に穴が空いているのだ。スティーヴィー・ワンダーの歌唱を浜風にさらしたような“Special To Me”で洒脱に始まって以降、40分弱のどこを切っても名曲しか出てこない珠玉の作品集。都会的なクールネスを漂わせつつ、カリビアンなリゾート感も存分に吹き込んでくる。次作『Cat In The Hat』も絶品!!(出嶌)
CLARENCE REID 『Dancin' With Nobody But You Babe』 Alston/Atco(1969) TKが正式にTKとして出発する以前から、クラレンス・リードはヘンリー・ストーンにとって掛け替えのない存在だった。歌い手として、コンポーザーとして……彼がいかにTKを支えたかを窺い知るのに、本作ほど助けになる盤はない。まさに才人である。なお、カルトな人気を誇るブロウフライも正体はこのクラレンス。炸裂する芸人魂にもうひとつの才能を見る。(JAM)
FOXY 『Get Off/Hot Numbers』 Collectables 亡命キューバ人の若者たちを中心にした6人組(当初は5人)バンドでリッチー・プエンテ(ティトの息子)も在籍していたフォクシー。TK傘下のダッシュにアルバム6枚を残したが、これは78年作+79年作の〈2 in 1〉盤。軽薄な掛け声〈フー! フー!〉が強烈な大ヒット曲“Get Off”のせいで硬派(?)には軽視されてるけど、軽快なパーカッションや咽び泣くギターで煮込んだ爽快でエグいグルーヴはもっと評価されるべき。(出嶌)
GEORGE McCRAE 『Rock Your Baby』 TK(1974) 74年に全米No.1となった表題曲はTKサウンドを象徴するパーカッシヴなディスコ・チューン。これを歌っていたのがジョージ・マクレーだ。KC・アンド・ザ・サンシャイン・バンドのバックアップのもと、後にKC〜も演った“I Get Lifted”など、南部的な泥臭さにマイアミ的楽天性を加えたポップ・ソウルが続出。後に奥方のグウェン・マクレーと共演盤を作るなどもしたが、86年に他界した。(林)
GWEN McCRAE 『The Best Of Gwen McCrae』 Stateside/EMI 80年代に残した代名詞的なヒット“Funky Sensation”が有名なグウェン・マクレーだが、その腰の入ったヴォーカルが濃密に息づくのはTK時代のほう。旦那ジョージとのデュオでデビューし、75年にソロへ転身。溌剌とした傑作アップ“Rockin' Chair”や歌の切迫感が凄い名スロウ“90% Of Me Is You”などのヒットをはじめ、彼女にしかないディープネスはこのベスト盤でチェックすべし。(出嶌)
KC AND THE SUNSHINE BAND 『KC And The Sunshine Band』 TK(1975) KCことハリー・ウェイン・ケイシーとリチャード・フィンチという白人青年を中心に結成された人種混成バンド。これは“That's The Way(I Like It)”“Get Down Tonight”といった不滅のディスコ・チューンを含む2作目。112などがサンプルした定番ネタ曲“I Get Lifted”も収録しており、マイアミらしい陽気モードが全開だ。TKのハウス・バンドでもあっただけに演奏も抜群。(林)
|
|  |  |
文/JAM、出嶌 孝次、林 剛 ESSENTIALS 忘れられない名盤たち その2
LATIMORE 『The Best Of Latimore : Sweet Vibrations』 Stateside/EMI TKの鍵盤奏者でもあったシンガー・ソングライターで、傘下のグレイズに在籍。ジャズやディスコ調の曲をやる一方、ディープ・サウスの雰囲気を持ったソウルも得意で、モニカのカヴァーでお馴染みの“Let's Straighten It Out”や“Keep The Home Fire Burnin'”といったブルージー曲をしみじみと披露。また、“Sweet Vibrations”などでメロウに迫る感じがTKらしくもある。(林)
LEON WARE 『Inside Is Love』 Fabulous/東芝EMI(1979) 後期TKに残るコレクターズ・アイテム。ジェイムズ・ブラウンよろしく、後期のTKには大物の移籍が少なくなかったが、このリオン・ウェアもそんななかのひとり。リリースされた年が年だけに、本意ではなさそうなレパートリーも散見されるが、そもそもセンスそのものが違う人なので、全体を覆う質感は流石に高品位。より深く彼の世界に浸るには絶好の一枚だ。(JAM)
LEW KIRTON 『Heaven In The Afternoon』 Expansion 元インヴィテーションズのシンガーだが、バルバドス生まれというカリビアンな出自も手伝ってか(?)、TKプロとソロ契約を結んだのがこのルー・カートンだ。これは80年にTK傘下のアルストンから放ったアルバム『Just Arrived』に、同じく傘下のマーリンから78年に出した表題シングルなどを加えたもの。アーバンなサザン・ソウルをシブい喉で歌うルーがいい。レゲエ風の曲もあり。(林)
LITTLE BEAVER 『Party Down』 Cat/Collectables(1974) ヒットらしいヒットも出せなかったシンガー兼ギタリストだが、ブルース〜ファンクに根差した漆黒のソウル・マインドを素のまま伝えんとする姿勢は〈ディスコ〉と対で語られることの多いTKにあって、ブラック・レーベル本来の意地を代理露呈しているかのようだ。〈TK丸〉の出帆にこういう人の存在が実は必要不可欠だったことに、レーベルの深淵を見る思いがする。(JAM)
MILTON WRIGHT 『Friends And Buddies』 Alston/東芝EMI(1975) 妹ベティのようなヒットには恵まれなかったが、“Keep It Up”などがレア・グルーヴ的な括りで再評価されたTKの裏人気アーティスト。スペイシーなシンセを主体にメロウでレイジーな音を奏で、アコースティック・ギターを弾きながら温かなヴォーカルで歌う感じは〈TK版ホセ・フェリシアーノ〉とでもいった趣がある。フィリップ&ベティの兄妹ほか、TKの腕利き総出演の名作。(林)
PETER BROWN 『A Fantasy Love Affair』 Drive/Collectables(1978) ブルーアイランド出身の自作自演派、ピーター・ブラウン。メイスのネタ使用も有名なデビュー・ヒット“Do Ya Wanna Get Funky With Me”を含むこのファースト・アルバムは、鍵盤奏者らしいスペイシーなシンセ空間が実に洒脱。乾いたヴォーカルの青さも相まってファンキーながらもスマートな印象だ。なお、80年代の彼はマドンナ“Material Girl”を書くなど、裏方としても活躍した。(出嶌)
TIMMY THOMAS 『Why Can't We Live Together』 Glades/Collectables(1974) 本文でも触れたとおり、TKにとって忘れ難い最初のビッグ・ヒットがこのティミー・トーマスの“Why Can't We Live Together”だ。先鋭的なヒット曲作りに自信を覗かせるあたりはTK版アイザック・ヘイズかと思わせるが、変に歌えてしまう才能が保守に走らせるきらいもあった。ソウル・ファンにとってはそこが逆に人気の的だったりするのが何とも皮肉なのだが。(JAM)
VARIOUS ARTISTS 『Miami Sound』 Soul Jazz TK及びマイアミ・ソウルのナンバーは、いわゆるレア・グルーヴやディープ・ファンクのシーンでこそ〈名曲〉とされるものも多い。というわけで、マイアミで数々のレーベルが群雄割拠していた頃(67〜74年)の曲を英ソウル・ジャズが編纂したのがこのコンピ。オール・ザ・ピープル“Cramp Your Style”などの定番ブレイクビーツも含み、JB調など荒削りなマイアミ・ソウル&ファンクが楽しめる。(林)
|
|  |  |
この記事を flogに追加
この記事をはてなブックマークに追加
|