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キング・オブ・ポップの誕生

掲載: 2001/11/15
更新: 2009/07/07
ソース: 『bounce』誌 226号(2001/10/25)

文/林 剛

キング・オブ・ポップの誕生


 80年代。すでに米音楽界のスーパースターだったマイケルが、キング・オブ・ポップなムーン・ウォーカーとして全世界に飛躍した時代である。その〈飛躍〉に貢献したのは、ご存知クインシー・ジョーンズ。マイケルは、ちょうど20歳になった78年、ジャクソンズの一員として同グループの3作目『Destiny』を発表した年に、御大クインシーと運命的な出会いを果たした。後にブロンズ像にまでなってしまう(『History』のジャケの話です)超人マイケルも、クインシーとの出会いがなければ単なる〈子役上がり〉のシンガーで終わっていたかもしれない。しかしマイケルは、ステージ・パパの足枷から逃れ、クインシーの庇護のもとで新たな音楽人生を切り拓く。そのスタートとなったのが、79年に発表されたレーベル移籍後のソロ第1弾アルバム『Off The Wall』であることは疑うべくもないだろう。クインシーが指揮を執り、マイケルみずからもソングライティングやプロデュースに関わった『Off The Wall』。少年時代の面影を残す〈アフロ〉な風貌、それにフレッド・アステアからヒントを得たという、マイケルのトレード・マークとでも言うべき〈白ソックスと丈の短いパンツ〉の衣装が目を惹くジャケットからして、新時代へ向かわんとするマイケルの意気込みが伝わってくる。収録曲の“Don't Stop 'Til You Get Enough”が翌年のグラミー賞で最優秀ソウル/R&Bシングルに選ばれるなど話題を呼んだ同作だが、それが(結果的に)次なる怪物の前哨戦であったことなど、当の本人を含め、誰が予想しただろうか。

 

 ジャクソン家の〈歌って踊れる坊や〉から、曲を書いてプロデュースもこなす〈大人のアーティスト〉へと変貌を遂げたマイケル。ソングライターとしての自信をつけた彼は、『Off The Wall』の成功を受けて80年にリリースされたジャクソンズの新作『Triumph』でも積極的に楽曲制作に関わっている。アルバムはジャクソン5の『Maybe Tomorrow』(71年)以来となるR&Bチャート1位を獲得し、ジャクソン兄弟健在! を広くアピールしたが、もちろんこれは『Off The Wall』のヒットによるマイケル人気が大きく影響していた。やはり、ジャクソンズはマイケルがいてこそ、なのである。

 

こうした流れを経て82年にリリースされたのが、全世界で5,000万枚のセールスを上げた世紀のモンスター・アルバム『Thriller』だ。『Off The Wall』と同じく制作はクインシー・ジョーンズで、話によれば同作には実に300曲もの候補曲があったとか。結果、収録されたのは9曲ながら、ここからのシングル7曲が全米トップ10入りを果たし、アルバムは37週も首位をキープするという、とんでもない記録を作った(84年のグラミー賞では史上最多の8部門を受賞)。ありていに言えば、この『Thriller』は前作『Off The Wall』に引き続いて西海岸の腕利きミュージシャンを起用した作品ということになるのだが、もう、このアルバムを前にしては、LA録音だとかNY録音だとか、ソウルだのポップだのといったことはハッキリ言ってどーでも良いというか、リスナーにそうした余計なことを一切考えさせない、もうどこを切ってもマイケルでしかありえない唯一無二の世界が築かれていた。「アウォッ!」な叫び声や「ウッ!」「ダッ!」というブレスの使用頻度が増えてくるのもこのころだが、その叫び声全開な“Billie Jean”は、80年代ポップ音楽の象徴であるMTVでプロモ・クリップが流されたことで話題沸騰。当時、MTVでは黒人アーティストのビデオが登場することは珍しかったが、その扉は〈人種やジャンルの壁を超越した黒人〉マイケルによって開かれたのである。と、こうなればマイケル側もMTVを利用しない手はないわけで、“Thriller”では短編ホラー映画のようなプロモ・クリップを作ったりと、以後もマイケルは良くも悪くもヴィジュアル作戦に精を出し始めた。83年におこなわれたTVライヴ「Motown 25」ではご存知〈ムーン・ウォーク〉を披露し、マイケルは見せる(魅せる)スーパー・スターへと変貌していく。

まだ見ぬ自分の姿を求めて


 『Thriller』からは、82年の発表以来、2年近くに渡ってシングルが切られたが、84年には『Thriller』の余勢を駆ってジャクソンズの5作目『Victory』を制作、〈勝利〉宣言をしている。このころのポップ音楽界は、もうほとんどマイケルの独壇場のようにも感じられたが、全米チャートではカルチャー・クラブら、いわゆる〈ブリティッシュ・インヴェイジョン〉が幅を利かせていた時代でもあり、強敵は多かった。とくにマイケルと並んで〈80年代型ポップ・スター〉の象徴的存在であるプリンスとマドンナは、それぞれ84年に“When Doves Cry”と“Like A Virgin”というメガ・ヒットを放っている。お行儀の良いマイケルに対して、斬新なサウンドでセックス・アピールをするこの2人にはさすがのマイケルも反応しないわけがなく、とりわけ同じ黒人ながら自身とは正反対のミステリアスで危険なイメージを打ち出していたプリンスには相当なライバル心をもっていたという。ヴィジュアル的にも黒人でありながらライト・スキンのプリンスを意識していた?とは余計なお世話だが、90年代後半、2人目の妻デビー・ロウとの間に生まれた男の子の名前は〈プリンス〉だったりする(笑)。音楽界に限らず、大物という大物とはなんらかの関係をもちたがる征服欲の強い(?)マイケルだが、プリンスだけは自分の意のままにならなかったようだ。

 

 ……というのは、85年、クインシー・ジョーンズの呼びかけにより米国のポップ・スターが集ったエチオピア飢餓救済プロジェクト〈USA For Africa〉を見てもあきらかだ。プリンスは同プロジェクトのアルバムに楽曲提供こそしているものの、マイケルとライオネル・リッチーが共作した主題曲“We Are The World”への参加は拒んでいる。たしかにどう考えても、この主題曲は〈危険な〉プリンスにはそぐわない。マイケルのような善良なアーティストが歌ってこそ、の曲である。と、まあ、このプロジェクトの成功をキッカケに、以後のマイケルは、人類や地球、そして子供たちに向けたメッセージ・ソングにみずからの活路を見出してもいる。86年にはディズニーランドに自分のアトラクションをもつという幼少のころからの夢をかなえようと、フランシス・コッポラ監督を招いて3Dの短編映画「キャプテンEO」を制作するなど、やっぱりマイケルという人はいつまでも純情な少年、プリンスやマドンナのような〈汚れた大人〉にはなりきれなかった。

 

 ところが、そのタイミングで登場したマイケルの新作『Bad』(87年)は、拳を握ったワイルドな風貌のジャケットからも窺えるように、それまでのイメージをブチ破っている。これがプリンスへの対抗策なのかどうかはわからないが、5,000万枚を売り上げた前作『Thriller』を越えなければいけないというプレッシャーに苛まれながらも、マイケルはできる限りの知恵と力を絞って新しい自分をアピールしようとしたのだろう。実際、サウンドの作りも総じてロッキッシュになっているし、歌い方だってかなり過激だ。前作を下回る3,000万枚(それでも十分だ!)というセールス結果にマイケルは不満だったというが、しかし〈ビートで勝負〉な90年代に進むためには、アグレッシヴな立ち居振る舞いでイメージ・チェンジを図っておくことも必要だった、といまにして思う。80年代のマイケルは、成功の陰で、絶えずまだ見ぬ自分を探し求めていたのである。

文/トリプル永地

マイケルのロック魂に火をつけたギター・ヒーローたち


 80年代に一世を風靡したMTVなくしてマイケル・ジャクソンの独創性は語れないように、この奇声を発するシンガーの魅力を分析するには、ハード・ロック&ヘヴィー・メタル(HR&HM)の隆盛を無視するわけにはいかない。83年、デフ・レパードの大ヒット・アルバム〈炎のターゲット〉を口火に、徐々にヒット・チャートに浸食しつつあったのが、HR&HM勢であった。過剰な演出と大仰なメロディーが、軽薄なアメリカン・ドリームを体現していたかどうかはわからないが、とにかく当時の空気と見事にマッチ。有象無象のバンドを生みだした。チャートに人一倍敏感であろうマイケルは、この傾向をいち早く察知。82年の『Thriller』における“Beat It”で、アメリカン・ハード・ロックの権化、ヴァン・ヘイレンのエディー・ヴァン・ヘイレンをゲストとして招く。彼のギターは、既存のブラック・ミュージックを消化してロック寄りのアプローチを採り入れつつあったマイケルの楽曲に、さらに鋭いエッジを施したのだった。それを機に、新しい血を注入することに成功したマイケルとハード・ロック・ギタリストとの蜜月はしばらく続くことになる。『Bad』ではスティーヴン・スティーヴンスが参加。ドラムのド派手な音色、エッジの効いたサビ、不良性を全面に押し出したトータル・コンセプト……そうやってR&Rの様式に急接近したマイケルが、次作『Dangerous』で(当時)ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュを選んだのは、当然の結果かもしれない。ちなみに、スラッシュとはMTVビデオ・アウォードをはじめ、たびたびステージでも共演を果たすなど、マイケルの熱烈なロック魂がいちばんよくあらわれた相手だ。新作『Invincible』が一転してロック色皆無となっているのは、いま飛び抜けたギター・ヒーローが存在しないからだろうか?

文/出嶌 孝次

80年代のマイケルを知るための6枚

THE JACKSONS 『Destiny』 Epic(1978)


彼らが長年求めてきたクリエイティヴ・コントロールをついに獲得した作品。尻軽ディスコ・ファンク“Blame It On Boggie”や、なんの不安もなさげなサニー感が横溢するポップ・チューン“Things I Do For You”など、力を抜いたマイケルの歌い方が、確かなハンドリングのもとで漂う。


MICHAEL JACKSON 『Off The Wall』 Epic(1979)


洒脱なホーンと軽妙なシンセの響きが全編を貫いた、クインシー・ジョーンズとの初合体作にして、MJアーバンの最高峰。底抜けのミラーボール感に満ちた“Don't Stop 'Til You Get Enough”、木漏れ日のような“I Can't Help It”の目映さ、“Rock With You”の躍動するブルー。すべてが宝石。


THE JACKSONS 『Triumph』 Epic(1981)


マイケルの成功を受けての4作目で、スピリチュアルなメッセージが前面に出始める。ヒットした“This Place Hotel”など、大仰なポップ性をもった楽曲が増え、メンバーの嗜好の広がりを反映しているぶん、焦点の定まらない部分も少し。“Can You Feel It”は後にブラックストリートが引用。


MICHAEL JACKSON 『Thriller』 Epic(1982)


圧倒的な“Wanna Be Startin' Somethin'”のグルーヴで始まる40分強の魔法。説明不要のヒット群がやはり耳を惹くものの、全9曲通して捨て曲ナシ。なにより“Human Nature”の万華鏡ループはいつ聴いても新鮮! 物狂おしい“The Lady In My Life”が深い余韻を残して、またリピート。


THE JACKSON 『Victory』 Epic(1984)


ジャーメインが戻って6人になったが、各人のエゴ爆発→制作はバラバラの〈ホワイト・アルバム〉的行程を経た一枚。結果的にはシンセバリバリの産業ロック系サウンドが中心に。マイケル主導曲では、粘っこいギター・リフ上でミック・ジャガーとじゃれ合うファンク“State Of Shock”がオモロい。


MICHAEL JACKSON 『Bad』 Epic(1987)


シンクラヴィアが忙しなく動き回り、アグレッシヴなギターが轟く一方、クワイアを従えた“Man In The Mirror”の穏やかさも耳を惹くなど、サウンドの多様性は本作がいちばん。〈パン! 茶! 宿直!〉が名高い“Smooth Criminal”などが万人のMJ観を体現し、自覚的なMJ感が漲った熱い一枚。

文/出嶌 孝次

王様と王子と姫様


 1958年という年は、ポップ・ミュージックの歴史を語るうえで注目すべき年だ。エルヴィスが徴兵に応じて入隊を果たしたこの年、マイケル・ジャクソンとプリンスとマドンナの3人がこの世に生を受けたのだから。3人はともに視覚的イメージを利用しながらトップの地位に歩を進めた〈MTV世代〉とも呼ばれるが、最初にオンエアされた黒人アーティストのプロモ・クリップはプリンスの“1999”で、マイケルが同じ82年に放った“Billie Jean”効果でMTVが猛烈に普及していったことを考えると、むしろ3人は開拓者なのだ。そんな同級生たちの歩みが交錯しはじめるのが80年代半ば。マイケルがプリンスに共演をもちかけたのだ(そのために用意した曲がかの“Bad”だった!)。が、2人は食事をしている間ずっと黙ったままだったというから……ダメな人たちだ。プリンスは「僕が参加しなくても、この曲はヒットするね」と言い残して席を立った。その点マドンナはしっかりしていた。〈プリンスと密会!〉というゴシップ付きできちんと共演曲“Love Song”をモノにしたのだ。そんなマドンナがプリンスの次に目を付けたのはキングだった。またも〈2週間で4日デート!〉などゴシップを振りまき、当時まだヒップ自慢だった彼女は、「彼をゲイ・ピープルと付き合わせてあのダサい服装を変えさせるわ!」と息まいた。が、結局はマイケルが尻込みして、マドンナは『Dangerous』での共演を断った。いまとなってはどちらもありえない共演劇だが、マイケルがそこへ踏み出さなかったのは良かったのか、悪かったのか?

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