|
 掲載: 2007/03/08
ソース: 『bounce』誌 284号(2007/2/25) |
バトルDJとして世界の頂点を極めた男が、新たな一歩を踏み出した。ヒップホップを基盤にさまざまな音楽エッセンスをジャグリングするdj KENTAROに限界はない!
文/池田 義昭 とにかく悔しかったんですよ
dj KENTAROにとって、音楽人生を変えた出会いが2つある。まず1つ目。小学校を卒業してNOFXのようなメロコアを聴きながらスケボーをやっていた頃に、たまたまTVで観たバトルDJによるスクラッチ。それに衝撃を受けた彼は、そこでターンテーブルと出会う。親には買ってもらえないことがわかると、すぐさま新聞配達のバイトを始め、ターンテーブルをみずからの力で手に入れてスクラッチに夢中になった。ただ、その後はヒップホップやハウスの魅力を知ってクラブDJを始め、一度バトルDJからは距離を置くことになる。その彼をふたたびバトルDJへと引き戻し、そして世界チャンプへと導いたともいえる一本のビデオとの出会い。それが2つ目である。
「98年に〈DMC〉のアメリカ大会のビデオを観て、第2の衝撃を受けたんですよ。それで、〈またバトルDJをやりたい!〉って。俺はその時、好きだったショートカットが当然勝つと思っていたんだけど、結局彼は負けて、クレイズが優勝するんです。クレイズはテクニックだけじゃなくて、(バトルの)6分間で音楽を作っていたというか。グルーヴを崩さず、流れも完璧でしたね。とにかくそれを繰り返し観ました」。
そのビデオで受けた衝撃のままに、初めて〈DMC DJ CHAMPIONSHIPS〉の東北大会に出場する。結果はボロ負け。
「とにかく悔しかったんですよね。地元では多少上手いんじゃないか、って過信があったんでしょうね。そこで恥もかいたし……」。
が、次の年も負けた。その時に支えになっていたのが先のビデオで、〈ああなりたい〉と憧れ続けたという。そして3年目に北日本大会で準優勝をした後、そこから一気にバトルDJの頂点へと駆け上がっていく。2001年に〈DMC〉の日本大会で優勝、世界大会では3位。翌年には日本大会で2連覇を果たし、ついには世界大会で優勝する。彼が栄光を掴んだ裏には初めての大会で味わった悔しさがあり、それをバネにしたのは言うまでもない。その何年間での練習量も容易に想像はつく。ただ、勝ち負けの世界で生き、そこで頂点に昇り詰めた時に思ったこと、それはこれまでの苦労話でもこれからの自慢話でもない、ある思いであった。
| | 2月28日にリリースされるdj KENTAROのファースト・アルバム『ENTER』(Ninja Tune/BEAT) |
|
NO WALL BETWEEN THE MUSIC!
音楽を自由に楽しんできたからこそ自然に出てきた彼の音楽への思いは、みずからの行動が生み出した信念であり、やがてそれは言葉として具現化され、現在の彼のスローガンになった。
「世界大会に行ってみたら、バトルの前は威嚇しているのに、バトルが終わったらお互いに認め合っていて。音楽で繋がれるじゃないけど、世界に壁はないよと思って。(その時のバトル・スタイルは)昔からいろんなジャンルの奴とパーティーをやったりしていた流れもあったんだけど、バトルで〈それ〉を出そうと思ってたんですよ」。
ここでいう〈それ〉とは、〈NO WALL BETWEEN THE MUSIC〉という彼のスローガンと通じるものであり、もちろん今作にも反映されている。
「ヒップホップはいろんな音楽要素を引っ張ってくるという側面もある。それ以外にも俺はいろんなクラブ・ミュージックが好きだし、そういうクラブ・ミュージック同士に共通点も感じるから。例えばドラムンベースとヒップホップにしてもBPMは違うけど、ノリとかグルーヴ、現場ではMCが煽ってDJが対応してみたいな感じはいっしょだと思う。(今回のアルバムは)ビートには制限を作らない、漠然とだけどコンセプトは〈NO LIMIT〉というのだけ決めて、それで作っていったら自然とこういう作品が出来ていって」。
「自分の音楽性に合う」と思ったニンジャ・チューンからリリースされる今作は、彼の発言どおり、ヒップホップをベースにしながらも、レゲエ、ドラムンベース、ブレイクビーツといったさまざまなビートの要素が散りばめられている。しかし、それは闇雲にジャンルレス/クロスオーヴァーといったものを意識したからではなく、〈自分らしさ〉を出した結果に他ならない。
「(dj KENTAROらしさというものは)ある意味自分に正直に、ありのままを嘘なく出すというか、自分の生活をそのまま音にすること。〈俺の音楽ライフはこうですよ〉って感じで、普段聴いてるものや俺の好みを出せれば、俺の中ではリアルかなって。ヒップホップの進むべき道というのもあるのかもしれないけど、それを考えずにまず〈俺のライフ〉を出すことを考えましたね」。
四季を意識して作られたという全体の流れのなかで、あえて全編をノンストップではなく、時折間を意識した繋ぎを披露し、そして多彩な〈顔馴染み〉のゲスト陣が参加した自身初のオリジナル・アルバムは、『ENTER』と名付けられた。
「まずは初心を忘れずという意味も大きいし、ファースト・アルバムだし、新しいところに入っていくという意味も込めていて。それに、〈エン〉っていう言葉が好きなんですよ。サークルの意味の〈円〉。サークルってループしてるじゃないですか? 四季は巡るし、このアルバムも巡るようにずっと聴いてほしいから。それもあって(アルバムの)いちばん最初と最後の音がいっしょだったり」。
憧れていた側から、憧れられる側へと立場は変化し、世界一のバトルDJからアーティストとして新たなる一歩も踏み出した。そんな彼がこの先にめざすこととは?
「自分の曲をヴァイナルにして、それでDJをするということを考えていて。自分の曲でジャグリングしたり、その曲を生でリミックスするような感じがしたいですね。今後は曲も作って、それを持ってDJもしていくというのを続けていきたい。それぞれの活動が相互に刺激を与え合うだろうし、それもまたループだと思うから」。 ▼dj KENTAROの作品を紹介。
| | ミックスCD『Bwoy On The Wheels Of Solid Steel』(Ninja Tune) |
| | DVD『NATIONAL GEOSCRATCH』(BEAT) |
|
文/山西 絵美 〈エン〉あって『ENTER』に参加した、ノーボーダーな面々を紹介!
●THE PHARCYDE: 92年作『Bizarre Ride II The Pharcyde』(Delicious Vinyl)でデビューを飾ったLAのヒップホップ・グループ。チルなものからダンス・トラックまで、楽曲の多彩さも手伝って幅広い層から支持を受ける。「“KEEP ON”は、〈KENTARO、ファーサイド、Break Wall、共に壁を壊していこうぜ〉って感じ。彼らもクロスオーヴァーな活動をしてるんで、凄いイイ曲になった」。
●SPANK ROCK: 2006年作『Yoyoyoyoyo』(Big Dada)で、みんなの腰を砕けさせたパーティー集団。『ENTER』では先行カット“Free”を含む2曲で参加。「レコーディングの時に〈ウォッカが飲みたい〉って言い出して、買いに行きましたよ(笑)。ちなみに、“SPACE JUNGLE”には4人とも参加してくれて、彼らいわく〈4人が1曲に参加するのは初めてだから貴重だぜ〉って。1人はトラックメイカーなんだけどラップもしてたり……自由な感じでおもしろかったですね」。
●NEW FLESH: UKヒップホップ界のヴェテラン。ダブ・ステップを採り入れた2006年作『Universally Dirty』(Big Dada)も記憶に新しいところ。「コールドカットとかとバスでツアーを回ったことがあるんだけど、俺のベッドの下がニュー・フレッシュだったんです。で、参加してもらったんですよ。この“RAINYDAY”はイメージとしては梅雨。人のなかでもあるじゃないですか!? たまに落ち込んだりとか。トラックを作ってる時は雨が降っていて、俺もやる気がなかったんです(笑)。ロンドンも雨多いし、〈あ、リンクしちゃった〉って感じでした」。
●LITTLE TEMPO: 結成14年目を迎えた日本屈指のダブ・バンド。2006年のライヴ盤『LITTLE TEMPO LIVE&DIRECT 1369』(ビクター)では、KENTAROとのセッションも収録。「“HANDMADE GIFT”は、彼らから楽器の音をもらって、それを俺がスクラッチして作りました」。
●HIFANA: サンプラーを叩いてビートを作り、そこにスクラッチやジャグリングを重ねていくパフォーマンスで人気の2人組。2003年作『FRESH PUSH BREAKIN’』(W+K東京LAB)や自身のイヴェントにKENTAROを招くなど、かねてから親交が深いようで、「数年前から仲イイし、音楽性も気も合うし、家も近所だし。当然やろうよと」。
●FAT JON: 2006年作『Kommunicater』(Rapstar)でもさまざまな要素を採り込んで異次元空間を構築していた、ファイヴ・ディーズのプロデューサー/MC。「2000年ぐらいに彼が仙台に来た時、俺が前座やったんです。やっといっしょにできたって感じです」。
●Hunger: 仙台のヒップホップ・トリオ、GAGLEのMC。最新作『BIG BANG THEORY』(コロムビア)もロング・ヒットを記録中。『ENTER』ではエンディング曲に参加し、独特のコロコロとした変則フロウを披露している。「Hungerさんの参加も〈当然!〉って感じ。お互いに1月生まれだったんで、冬の仙台をイメージして“HATSUYUME”を作りました」。
|
|  |  |
|