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 掲載: 2002/01/24 更新: 2002/09/13 ソース: 『bounce』誌 228号(2001/12/25) |
紆余曲折を経て、ひとつの頂点に辿り着いたヒップホップ・ミュージック。が、その到達点は、成熟ではなく、新たなる道の始まりだった……。もはや一極集中はなくなり、細分化を進めながら、より多岐に渡る姿へ変貌していくヒップホップ。そんなふうに、これからも未知なる道は続いていくのだ。
文/古川 耕
95年から加速度的に成長し続けた日本語ラップ・シーンは、99年〜2000年初頭をもって質量ともにひとつの頂点を迎える。 98年末、円熟しきったファンキー・サウンドを手に入れたスチャダラパー『Fun-Key LP』を皮切りに、99年にはSOUL SCREAM『Thepositive gravity〜案とヒント』、SHAKKAZOMBIE『JOURNEY OF FORESIGHT』、(YOU THE ROCK改め) YOU THE ROCK★『THE PROFESSIONAL ENTERTAINER』、リアル・スタイラ『爆弾発言』と、立て続けにアルバム・リリースが続く。年が明けてもその勢いは止まらず、2000年初頭にはBUDDHA BRANDの2枚組大作『病める無限のブッダの世界〜BEST OF THE BEST(金字塔)』、TWIGYの新機軸『SEVEN DIMENSIONS』、妄走族『君臨』などがリリース。日本語ラップの盛り上がりを支えたアーティストたちの集大成、あるいは新たな挑戦が、ここに一挙に出揃ったのである。なかでも象徴的なのは、99年夏にリリースされたRhymesterのアルバム『リスペクト』だろう。95年以降、“マイクの刺客”“耳ヲ貸スベキ”などのシングルで日本語ラップ・シーンの精神面を体現してきた彼らは、98年初夏にその決定打と言うべき“B-BOYイズム”を発表し、その地位を不動のものにした。そして、それらのシングルを中心に構成された『リスペクト』は、彼ら自身の軌跡とともに、あたかも日本語ラップ全体の盛り上がりを総括するような役割も担ったのである。 |
ヒップホップのなかのラップ
また“B-BOYイズム”がもうひとつ重要な意味を持っていたのは、それはラップを〈ヒップホップの一構成要素〉として立ち返らせたことにある。折しも98年、ヒップホップの4大要素(MC/DJ/グラフティ/ブレイキング)をここ日本で再統合する試みとして、ロック・ステディ・クルー・ジャパンのCRAZY-Aが〈BBOY PARK〉を開催していた。そして、そうした場所で、あきらかにB・ボーイ(そもそもはブレイクダンサーを指す)をターゲットに見据えた“B-BOYイズム”は極めて座りがよく、事実、その翌年の〈BBOY PARK '99〉では、代々木公園野外ステージのクライマックスにこの曲が鳴り響いたのである。“B-BOYイズム”はプロモ・クリップにも大々的にブレイカーをフィーチャーしており、ラップがヒップホップに属する一要素だということを広く世に啓蒙する役目を果たした。
また〈BBOY PARK〉と言えば、99年からMCバトルが開始されている。日本語による完全即興のフリースタイルがどれほどのレベルにあるのか。まったく未知数の状況でおこなわれた第1回だが、結果は想像を遙かに上回る高水準、かつ白熱ぶり。ここでチャンピオンとなったKICK THE CAN CREWのKREVAは、その後3大会連続優勝という偉業を成し遂げ、フリースタイル・キングの称号を手にしている。また、このMCバトルからは、 ILLMURA、MOTOY、KENSHIN(RUFF RHYMERS)といった逸材が輩出されている。
こうして〈拡大〉と〈原点回帰〉の動きを両立しつつ、理想的な成長を遂げていったかに見えた日本語ラップ・シーンだが、しかしその水面下では、激流の中からこぼれ落ち、黙殺されていた者達の声がジワジワと浸透し始めていた。 |
多様化の道へ
遡って98年10月、ひっそりとリリースされた『Stilling, Still Dreaming』というダブル・ヴァイナルのアルバムが、メディアの力を借りずに少しずつ支持者(その代表例がDJ KRUSH)を増やしていた。また99年の夏、それまでシングルでのみ知られていたバイリンガルMCのCD2枚組アルバム『緑黄色人種』が、インターネットなどを中心に急速に支持者を集めていた。
札幌のTHA BLUE HERBと、サンフランシスコ在住のSHING02。音楽性に共通点はなく、お互いに面識もない彼らが、しばしば同列に語られるのはなぜか? まず、彼らの音楽性とスタンスが、それまでの日本語ラップの文脈からまったく逸脱していたことにある。いや、正確に言うのなら、既存の文脈でも十分に評価可能なものでありながら、同時に日本語ラップから距離を置いていた人々にもアピールする力を備えていた、とでも言うべきか。THA BLUE HERBの荒涼としたサウンド・プロダクションと文学的で攻撃的なリリックは、これまでのどんな日本語ラップより力強く、オリジナルだった。同じく、SHING02のベイエリア・サウンドとコンセプチュアルな視点は、彼がまったく独自の活動を続けてきたことを意味していた。そしてこれらは、従来の日本語ラップに抵抗感があった者すら虜にした。つまりは、アーティスト自身ではなく、彼らのファンたちの側に共通点があったのである。ここにきて、日本語ラップは多様化の道を歩み始めた。2000年はこうした動きに加え、 ZEEBRA『BASED ON A TRUE STORY』やラッパ我リヤ『ラッパ我リヤ伝説』が好調なセールスを記録し、それこそ〈ヒップホップ〉という背景を必要としないファンも急増し、シーンはより混沌とし始めたのである。 |
新世代が活躍した2001年、そして……
こうした状況のもと、2001年に入ってからは、これまで第一線のアーティストの下に隠れていた新世代たちが次々と充実作を発表し始める。前年末のNITRO MICROPHONEUNDERGROUNDのアルバムを筆頭に、そのニトロの中でも一際スキルフルなDABOの『PLATINUM TONGUE』。そして、熊本の餓鬼レンジャーが放った『UPPER JAM』。これまでの歴史と断絶するかのような高い基礎能力を有している彼らが、シーンに歓迎されたことは興味深い。さらには、仙台のGAGGLE、名古屋のTOKONA-X、京都のイルリメ、そして瘋癲。2001年に入って頭角を現わしてきた彼らにしても、過去の誰とも似ていないという意味では同様だ。
こうした素晴らしい才能たちの多くが、それぞれ東京と無縁のシーンで育まれてきたことは注目に値する。なぜならそれは、 99年の時点でTHA BLUE HERBとSHING02が暗示していたことでもあるからだ。これまで日本語ラップのスタンダードとされていたものは、実は単なる東京のスタンダードに過ぎなかった、ということだ。こうしている現在も、大阪のアメリカ村では韻踏合組合が、名古屋ではホーム・メイド・家族が、東京・新宿〜高田馬場ではMSクルーが、独自のコミュニティーの中で〈上〉を脅かす牙を研いでいる。対するベテラン〜中堅勢も、LITTLEのソロ・アルバム『Mr.Compac t』、(RINO改め)RINO LATINA IIのファースト・アルバム『Carnival ofRin o』、水戸のLUNCH TIME SPEAX『B:COMPOSE』、そしてRhymester『ウワサの真相』など、それぞれがこのアートフォームを前進させる充実作をリリースしている。さまざまな目くらましや定説、歴史を乗り越えて、今後日本語ラップ・シーンはさらなる再編成の波を迎えるだろう。
そして、最後のトピックは、2001年末のヒット・チャートの中にある。RIP SLYMEの“One”、KICK THE CAN CREWの“クリスマス・イヴRap”、Steady & Co.の“春夏秋冬”、ケツメイシの“手紙”、そして、Rhymesterの“ロイヤル・ストレート・フラッシュ”。これらが同時期にチャート上位に並んでいる状況については、これからそう遠くない将来、なんらかの意味を帯びてくるに違いない。 |
文/狛犬 バトルのBを体現する祭典<B BOY PARK>
ラッパーである以前から類い希なダンサーとしてロック・ステディ・クルーの日本支部を主宰するCRAZY-A。彼が率いる東京B-BOYSの活動15周年をきっかけに開始したイヴェント、それが〈BBOY PARK〉だ。
初回の98年はその名のとおり、B・ボーイ・バトルを主体としたブレイカーが主役のイヴェントだったが(テーマ曲はKICK THE CAN CREWとCRAZY-Aの“DOWN BY LAW”)、99年の第2回目からMCバトルと DJバトルを要項に加え、拡大していく。そのスゴさが喧伝された結果、いわゆるヒップホップの四大要素のすべてを体現した〈BBOY PARK 2000〉は前年の3 倍以上を集客する大盛況となった。この年から豪華な面々が参加したサントラもリリースされていく。そしてこのたび、2001年大会を振り返る『BBOY PARK 2001 新たなる道へ…』がリリースされたばかりだ。これを聴きながら、〈2002〉へ心を向けるのが正しいでしょう。
| | 2000年大会の記念サウンドトラック『B-BOY PARK 2000 9/3 約束の土地で …』(デジキューブ) |
| | 2001年大会の記念サントラ『BBOY PARK 2001 新たなる道へ…』(デジキューブ) |
| | CRAZY-Aの97年作『COLLECTION』(クラウン) |
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文/高橋 荒太郎 もっと出てこい!女性MC!
日本のヒップホップ・シーンの中で感じるのは、女性ラッパーの少なさだ。ECDのアルバムへの参加を経て、〈さんピン CAMP〉にも参加したHACや、95年にDJ KENSEIプロデュースでいきなりメジャー・デビューを果たしたRIM以降、長らく女性ラッパーが目立たない時代が続いた。 RIMはその後もDJ BEATのアルバム2枚に続けて客演参加し(2作目ではSLRと名乗っている)、元気な声を聴かせてくれている。RIM以降は、名古屋のNOCTURN、最近では横浜を拠点にライヴも定評のある実力派、Miss Mondayがメジャーに上がって元気に登場。また、歌っぽいフレイヴァーも盛りこみ、勢いあるラップを聴かせるLIL' AIがデビュー・シングルをリリースしたりと、ここにきて女性ラッパーの進出も目立ってきた。地方にも多くの女性ラッパーは潜在している模様だ。また、某TV番組をきっかけにチャンスを掴んだHeartsdalesの登場も、全国の女性ラッパーを刺激する可能性は大、と言えそうだ。
| | NOCTURN『NOCTURN SPARK』(Pヴァイン) |
| | Miss Monday“MONDAY FREAK”(エピック) |
| | Heartsdales“So Tell Me”(espionage /cutting edge) |
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文/狛犬 ヒップホップを育んだ<コラボレーション>たち
ストリクトリーに〈B〉な輩も、2002年が始まってしばらく経てば、ギターの轟音に合わせて首を振らずにはいられまい……ハードコア・バンド、ETERNAL BとDABOが共演を果たすからだ(すでにステージでは共演済みだ)。また、RISING SUNとZEEBRAが共演した“TOKYO G.P.”の MASTERKEYによるリミックス新装盤(これすごいですよ)もリリースされ、これらの組み合わせの相性の良さがわかる。それは、ラッパ我リヤやYOU THE ROCK★、そしてZEEBRAらがヘヴィー・ロック勢と共演したコンピ『MAD-MAXX』でも証明済みだった。逆にラップ・スタイルのヴォーカリストたちがヒップホップのトラックメイカーと組むとどうなるかという興味深い例を集めたコンピが『CONNECTED』で、宇頭巻や麻波25らの豪快なヴォーカルに刃頭やDJ TOMOがタイトなビートを提供し、なかなかの相性をみせていた。また、ZEEBRAはDREAMS COME TRUEと、SHAKKAZOMBIEはnorthern brightと、YOU THE ROCK★はノーナ・リーヴスやピチカート・ファイヴ、SILVAらとコラボレートするなど、共演すること自体はもはや突飛なものではなくなっている。DEV LARGEがLOUDNESSの高崎晃と合体したときは驚いたけど。
ほかにも、NIPPSはSILENT POETSとの共演でアブストラクトな言語世界の新しい可能性を見せつけてくれたし、SUIKENとNUMB のブッ飛んだ共演も異常にカッコ良かった。speedometer.とWORD SWINGAZのリミックス共演も新鮮だったし、FLICKのKASHIはSunaga 't Experienceに客演…… と、例を挙げていけばキリがない。いずれにせよ、これらのコラボレーションがヒップホップの支持基盤を拡げ、ヒップホップ・ミュージックにも深みを与えているのは確かだ。
異種格闘技的なコラボレート作品を紹介。
| | ETERNAL B×DABO、NUMB ×S-WORDという2組の共演を収めた『ESDN』(IMPAK MUZIK) |
| | RISING SUN 『TOKYO G.P.REMIX』(Silver) |
| | コンピレーション『MAD-MAXX』(走馬党/ POSITIVE) |
| | コンピレーション『CONNECTED』(FLEXY NATION) |
| | SHAKKAZOMBIE×NORTHERNBRIGHT“GET YOURSELF ARRESTED”(cutting edge) |
| | HIBAHIHI+SILENT POETS 『HIBAHIHI+SILENT POETS 001』(Idyllic) |
| | Sunaga 't Experience『IT'S YOU - REMIXES plus』(Rhythm REPUBLIC) |
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文/萩谷 雄一 DABOインタビュー
プラチナのベロをもつ男 オレ個人的にはシーンの動向を総括して語ることにあまり興味はない。というか、東西南北360度あらゆる局面で&途轍もないスピードで進化し続ける、恐るべき道端音楽=ヒップホップ・ミュージック(←誰がなんと言おうと、ダブと並ぶ音楽史上最大の発明!)は、もはや総括して語れるようなモンじゃなくなってきてると思うのだ。今この瞬間にも何かが何処かで激しく蠢いてるんだから。けど、そんなオレでさえ、2001年が── 日本のヒップホップ・シーンが全方位的に/完全に新たなる次元に突入したことを示す事象がさまざまな形/さまざまな場所で大噴出しまくった──意味深い年であったことは痛烈に感じてる。
で、そんな2001年、もっとも輝きまくってた男の一人が、圧倒的完成度のソロ・デビュー・アルバム『PLATINUM TONGUE』& 怒濤の全国巡業で世のBな野郎女郎を魅了しまくったDABOであることに異論はないだろう。
なワケで、白熱のライヴ模様&プロモ・クリップなどなどを収めた映像集『TONS OF SPITS〜PLATINUM TONGUE JAPAN TOUR 2001』をリリースしたミスター・フダツキーに話を訊いてみた。
──どうだった? この1年は……。
いろんな意味で……目まぐるしかったな(笑)。(2000年の)11月30日に(Def Jam Japanと)契約して、12月1日から引っ越しを始めて(笑)。……早かったねえ。
──まだ感慨に浸る時期じゃないとは思うけど、なんか感慨深いモンはあるでしょ?
うん。通帳とか見るとさ……〈ありえない〉って感じだし(笑)。このバブリーなライム長者っぷりったらナイね。
──8月8日の新宿・リキッドルームのRINOのパーティーん時にさ、DABOがステージに出てきて、〈いま横浜のOZROSAURUSのライヴからやって来たぜ!〉って言っててさ。なんつーのかな、ああいう……動いてる感覚? それがより一層強まってる気がするんだけど。
昔、NITROの連中とさ──まだそう名乗ってないころだけど──3台くらいのバイクでみんな2ケツしていろんなライヴ会場ハシゴしててさ。招待なんかされてないのに無理矢理ゲストで入って(笑)。で、〈あれー? さっきもジブさん(ZEEBRA)いたのにコッチにもいるよー〉とか、〈RINOくん、ココにもいるぜ〉とかなってて。そういうの観ててスゴく楽しかったから……。いまはオレとかSUIKENやMACCHOとか新しい連中が引っかき回して、渦を作って……。
──そうそう、そういう感じ。で、2001年はその〈渦〉がまた急激にデカくなった気がする。単純にいいアルバムもいっぱい出たし。
だね。で、今度は……オレとかRINOくんとか OZROSAURUSとかがオリコン10位の中に入ったらおもしろいなって感じ。とりあえず〈ラップ〉がそこに入れることはワカったから。世の中はもう準備できてる。レゲエにしろラップにしろ、そういうマイクでパフォーマンスする音楽が、かなり売れちゃいます、と(笑)。そういうことがいろんなトコで感じられた 1年だったかな。
──うん。
べつに……501履くのが悪いとか誰がハードコアじゃないとか言うことじゃなく、アヴィレックスの皮ジャン着てこういうダボダボのパンツ履いてるような、ワカりやすくハードコアな人がすごく売れたりすると……もっとオモシロくなると思うんだよね。
──で、またそういうトコからスルッと抜けちゃうTWIGYみたいなのもいて……(笑)。
うん(笑)。ナンバー・ナインとか着てるからねえ(笑)。おもしろいよ。
──そういうムキダシな連中がもっと売れて、世の中の人々の頭にインプットされてったら楽しいよなあ。
でも、もうあきらかに誰にも止められない状況になってきてるのは確かだから。それはやっぱ全国廻ってライヴやってると身体で感じるコトでさ……。
以前、DABOと話してるときに、「〈リラックス〉ってなにかなあ?」と訊いたら、彼は「それは……MACCHOも言ってることだけど、〈ココ〉ってコトじゃない?」と答えた。
うん。なににも惑わされず、なにからも逃げず、自分自身として〈ココ〉にいること。それが本当の〈リラックス〉だとオレも思う。たぶん人は、そのとき最大にして最高のヴァイブを吐き出せるのだ。そして、ライヴが録音物以上に〈ココ〉を生々しく感じさせてくれる場であるのは間違いない。
『TONS OF SPITS〜PLATINUM TONGUE JAPAN TOUR 2001』。
そこには、DABOの〈ココ〉が詰まりまくってる。チェックせよ。
DABOのシングル | | “PINKY〜だから、その手を離して”(Def Jam Japan) |
| | ビデオとDVDの両フォーマットでリリースされた、DABOの『TONS OF SPITS〜PLATINUM TONGUE JAPAN TOUR 2001』(Def Jam Japan)。ツアーの様子はもちろん、シングルのプロモ・クリップやインタヴューも収録!! |
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