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AFRA

掲載: 2004/12/09
更新: 2005/01/13
ソース: 『bounce』誌 260号(2004/11/25)

〈Always Fresh Rhythm Attack〉の頭文字を取って〈AFRA〉と名乗るひとりのヒューマン・ビートボクサーが新作をリリース!! この〈楽器〉の未来を切り拓く彼に、お茶の間からストリートまでが軒並み注目中だ!!

文/リョウ 原田

NYで生まれたヒューマン・ビートボクサー


〈ボッツッ、チキチキ……〉って、〈ガキの使い〉じゃなくて、人間がその口を駆使して表現する人力リズム・パフォーマンス=ヒューマン・ビートボックスのお話。NYのストリートから発生したといわれるこのリズム遊びの種は、ダグE・フレッシュやファット・ボーイズといった先達によって芽生え育ち、ルーツのようにポピュラーなヒップホップ・バンドにより世界中に広められ、やがて日本の若者に行き着いた──80年に大阪府吹田市で生まれ、いまや日本で知らない者はいないであろうヒューマン・ビートボクサー、AFRAに。ロボ宙の2002年作『銀河飯店』への参加、シンコ(スチャダラパー)のプロデュースによるデビュー作『Always Fresh Rhythm Attack!!』のリリース、そしてDEV LARGE、テイ・トウワ、HIFANA、AI、MIC BANDITZ、DJ KENTAROなどとのジャンル不問の華麗なる共演歴、そして彼のパフォーマンスの魅力を伝える媒介となった複合コピー機器のTVCM。そもそもは高校時代に持っていた国内/海外のヒップホップMCたちへの憧れ(文化祭で、あの“証言”を演ったこともあるそう)からマイクを握ったAFRAの物語は、いくつかの印象的な事件を経てヒューマン・ビートボクサーの物語になっていく。まずは高校2年の夏休み、1か月間滞在していたというNYで。

  「そのときセントラル・パークでフリー・コンサートをやっていたんです。もともとその日はトライブ・コールド・クエストがライヴをやる予定だったんですけど、急遽キャンセルになって代わりにルーツが出た。そこでラーゼルのビートボックスを観て〈うわーーー!〉ってショックを受けて。あれ(トライブのキャンセル)がなければ、自分はヒューマン・ビートボックスをやっていなかったかもしれない(笑)」。
12月8日にリリースされるAFRAのニュー・アルバム『DIGITAL BREATH』(W+K東京LAB/RUSH!)。DVDとの2枚組仕様でのリリースです!!

ラーゼルのパフォーマンスとNYの雑踏に刺激を受けた彼は、高校を卒業して1年もすると留学のためNYに渡る。「ヒップホップでガシガシやっていこうという気はなかった」そうだが、見よう見まねでビートボックスの練習は始めていた。彼いわく優れたヒューマン・ビートボクサーに必要な要素は、音楽性、リズム感、ピッチ感……の3つだそう。当時、彼がどれほどのスキルを身につけていたのかは想像できないが、〈場の音楽〉であるヒップホップにとって重要な要素=コミュニケーション能力に関しては、すでに抜群だったようだ。NY郊外のロングアイランドで暮らし始めて1か月、今度は高校2年のときにラーゼルのリリース・パーティーで出会った地元のビートボクサーたちとの再会を果たす。

  「(仲間との再会は)デカかったですね。ビートボックスをやってるヤツが近くにいたし、自分よりも上手かったから技を盗んでいって、そのうちこっちからも仕掛けていくようになった。その後フライヤーにも〈From Japan〉とか名前を載せてもらって、ライヴに出るようになった」。

 ヒューマン・ビートボックスは、身体ひとつあれば〈どこでも、誰とでも〉できる。「名前のある人もいれば、アンダーグラウンドでやっている人もいた」という当時のセッション相手は、アパニ(B)、TESといったヒップホップ連中から、CIBO MATTO、ジョン・ゾーンなんて名前まで。西海岸を訪れた際、カフェでビートボックスを披露しているとミッションのメンバーがラップで絡んできたこともあったそう。またグループとしての活動は断続的ながら、ヒューマン・ビートボックスの始祖=ダグE・フレッシュの近所で育ち、その技を磨いてきたエマノン、ラーゼルの作品にも客演した経験のあるケニー・ムハマドらとの5人組ヒューマン・ビートボックス・グループ、MB2000にも参加していた。

  「MB2000でセントラル・パークのラーゼルのステージに前座として出た時、〈あ、俺はこれで行こう!〉って調子に乗って思ったんです(笑)。その後日本に帰ってきたら、NYで知り合った友達から〈イヴェントやるから、もしよかったら出てくれ〉って言われて。それがロボ宙さんと (スチャダラパーの)ANIさんが出演したイヴェント」。

 ▼AFRAの作品および客演作品を一部紹介
2003年にリリースされたAFRAのファースト・アルバム『Always Fresh Rhythm Attack!!』(ODDJOB)
ロボ宙の2002年作『銀河飯店』(KRE)
AIの2004年作『2004 A.I.』(Def Jam Japan/ユニバーサル)
MIC BANDITZの2004年作『Johnny Astro & the Diamond Crooks』(espionage/cutting edge)

ティンバランドとやってみたい

 その後の日本での快進撃は冒頭でご紹介したとおり。帰国後も、彼は〈どこでも、誰とでも〉共演し、先日はルーツの来日公演のステージにも上がった。そしてこのたびセカンド・アルバム『DIGITAL BREATH』がリリースされる。プロデュースを手掛けるのは、〈ギザギザ・ビートの子守唄〉を鳴らすビートチョップの達人、プレフューズ73ことスコット・ヘレンだ。この意外な組み合わせから生まれたのは、異なるドラム音を同時に鳴らすAFRAのヒューマン・ビートボックスの持ち味を最大限に活かした“SLICE MY BEAT NICE!”、スラップ・ベース調のファンキーなヴォイスにプレフューズらしい哀愁溢れる電子音サンプルが乗る“SIMPL SAMPL”、AFRAの呼吸音をクールに取り込んだ“DIGITAL BREATH”まで、全8曲。アルバムの収録時間は決して長くないが、AFRAとプレフューズ双方の魅力を存分に堪能できる一枚だ。

  「彼はけっこうセンシティヴな感じの人で、スタジオで(録音の後に音を)いっしょにイジるんかな、と思っていたら〈じゃ、これで〉っていう感じでホテルに帰って作業する。で、とあるCDを聴かせて〈こういうのがほしい〉って言ったら、〈じゃ、コレちょうだい〉って言って解散(笑)。でも、次の日に出来上がった曲のラフを聴かせてもらったら、〈あー、これこれ!〉っていう仕上がりになってた。仕事の早さとそのクォリティーにはビックリしましたね。コミュニケーションのない状態で音を作るのもおもしろかったし、冒険にもなったと思う」。

 AFRAの〈陰〉、プレフューズ73の〈陽〉、それぞれがこれまでに見せてこなかった側面が引き出されたフレッシュな新作。テクノロジーも味方にして、AFRAはさらなる前進を果たした。さて、数々のアイドルとの共演を果たした今、次はどこで誰と?

  「ティンバランドとはすごくいっしょにやってみたいですね。あり得ないビートを作るし、あの人もヒューマン・ビートボックスをやるから。ライヴァルは地元(大阪)のビートボクサー。来年ぐらいから3人の仲間とINCREDIBLE BEATBOX BANDっていう名前のグループをやりたいなと思ってます(笑)」。

 ▼文中に登場したアーティストの作品を一部紹介
アパニの2003年作『Story 2 Tell』(Q-Boro/MICLIFE/バッドニュース)
ジョン・ゾーンのライヴ盤『John Zorn's Cobra Live At The Knitting Factory』(Knitting Factory)
ミッションの2002年作『One』(Insiduous Urban)
スチャダラパーの2004年作『The 9th Sense』(compactsounds)

文/大石 始

いちばんスゴいヒューマン・ビートボクサーって誰? 教えて、AFRA!!

 一言で説明してしまうと、ヒューマン・ビートボックスとはビートボックスのリズムを人間の口を使ってやっちゃうことで、古くからヒップホップを構成する重要な要素のひとつとして多くのビートボクサーたちがその口技を磨き合ってきた歴史のある〈楽器〉だ。で、そもそもはビートボックスを買うことのできないストリートの連中が、その代わりに自分たちの口を使ってビートを刻むことを編み出したことが始まりとなったわけだけど、ここでその偉人たちについてAFRA本人に説明してもらおう。

  「代表的なのはスリック・リックとやっていたダグE・フレッシュとか、ビズ・マーキーの“Nobody Beats The Biz”とかですよね。ヒューマン・ビートボックス・マスター? そうですね……まずはバフ(ファット・ボーイズ)。いちばん初期に誰のマネでもなく自分流に始めた人で、そこから成り上がっていったんですよね。どのビートボクサーも彼のことを尊敬してます。80年代にヒューマン・ビートボックスが出てきたころってものすごく流行って、ブルックリンでもヒューマン・ビートボックスでストリートファイトとかしてたらしいんだけど、そのときいちばん強かったのがバフだったんです。巨漢で音も凄いし、みんな〈アイツには勝たれへん〉って。太り過ぎて死んじゃったんだけど、本物のレジェンドですね。だから、ラーゼルもその座をめざしてやってる。うん、ラーゼルとスクラッチの功績も大きいな。グラミーを取るような立場でヒューマン・ビートボックスの存在を世界に知らしめたから。だから、世界に種を蒔いたのは彼らですね。僕も間違いなくその種のひとつやし」。

 ヒューマン・ビートボックスは、世界でもっとも安上がりで、もっとも身近な楽器のひとつだ。教科書はAFRAが教えてくれた偉人たちでもいいし、MB2000にも参加していたババ(ディジュリドゥを吹きながらヒューマン・ビートボックスをカマす異才!!)でもいい。でも、最適のテキストは……言わなくてもわかるよね?

 ▼文中に登場したアーティストの作品
ダグE・フレッシュが参加したスリック・リックの88年作『The Adventures Of Slick Rick』(Def Jam)
ビズ・マーキーのベスト盤『The Best Of Cold Chillin'』(Cold Chillin'/Warner Bros.)
ファット・ボーイズのベスト盤『All Meat No Filler : The Best Of Fat Boys』(Rhino)


ラーゼルの2004年作『Rahzel's Greatest Knockouts』(Sure Shot/Stomp)
スクラッチの2002年作『The Embodiment Of Instrumentation』(Ropeadope)
ババの2001年作『Mind Music』(Velour)

文/久保 正樹

AFRAとタッグを組んだプレフューズ73ことスコット・ヘレンって?

 ヴォーカル・チョップ!──その優れた身体能力で切り刻まれ、エディットされた声、語り。ビートと呼応する声、語り。2001年作『Vocal Studies + Uprock Narratives』で展開したそんな衝撃的スタイルにより、プレフューズ73ことスコット・ヘレンはオルタナティヴ・ヒップホップのまったく新しい形を提示し、今日のエレクトロニカ・シーンに多大な影響を与えた。だが、2003年の『One Word Extinguisher』では後のコラージュ・ミニマル・ハウスにも影響を与えたその手法を封印し、さらにメロディアスな表現力でエディットの可能性を押し広げた。また、現在はスペインのバルセロナに在住するこのアメリカ人青年の活動はどれもが興味深く、独自のセンスと革新性に満ちたものである。まず、最初期のユニットにして現在活動停止中のデラロサ&アソラ。このユニットではグリッチ&クリックな牧歌的エレクトロニカ・サウンドを展開していた。そして、アコースティックな音響エレクトロニカ作品を生み出してきたサヴァス&サヴァラス。先頃リリースされた最新作『Manana』でも前作に引き続きスペイン人女性シンガー、エヴァをフィーチャーし、スコット流サウダージともいえる内省的な歌ものサイケデリアを披露した。多くの情報に複雑な構造、深い世界観を実に明快に提示するそのプロデュースの手腕も光を放つスコット・ヘレン。今後すべての動向が注目に値する、類い稀なる才能の持ち主である。

 ▼スコット・ヘレンの作品を一部紹介
プレフューズ73の2001年作『Vocal Studies+Uprock Narratives』(Warp)
2003年作『One Word Extinguisher』(Warp)


デラロサ&アソラの2001年作『Backsome EP』(Schematic)
サヴァス&サヴァラスの2003年作『Apropa't』(Warp)
2004年作『Manana』(Warp)

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